今回も保育士の先生にオススメいただいた書籍についてのコメントまとめです。
言語聴覚士になりたての若かりし頃、心理学者の鯨岡先生の講義を受講したことがありました。当時の私は、ことばの遅れを生じる子ども達を少しでもコミュニケーションが取れるようにしようと、具体的なアプローチ方法ばかりを探し求め研修を受けていた気がします。それゆえ、鯨岡先生の講義は、枠が大きく抽象的で、普段の療育にどのように反映すれば良いのか、正直分かりませんでした。鯨岡先生は、子どもたちへの支援方法というより、情緒面を安定させる関わりや、こどもたちの心のあり方を踏まえた上での関わりを重視されていたように思います。そこから約20年の時を経て鯨岡先生の書籍にあたり、感じた率直な思いを記してみました。
力が先か、心が先か
本来、子ども達には「力も心も」両方の育ちが必要です。けれど、現在の保育界では、少なからず対立する考えが生じているようです。集団保育で「○○ができるようになろう!」と力を育てようとすると、集団の流れに乗れない子どもが気になり、その子に手厚く関わって乗れるように保育を考えるのは自然なこと。その子を集団の流れに乗れるようにすることで、保育はうまくいくと考える。
要するに、保育者主導で子どもたちを動かす「させる保育」は、保護者の歓心を買うための「保護者に見せる」保育となり、保護者からは評価されやすくなる。しかし、そのような保育が「子ども一人一人を育てる」本来の形なのかと鯨岡先生は警鐘を鳴らされています。
子どもたち一人ひとりは、保育者と心の繋がりを求めています。あの力、この力と語る前に、保育者に自分は認めてもらえているという感覚(自己肯定感)を欲しています。その根っこの部分を考えると自ずと「心が先」であることは、自然な考えだというわけです。
接面で生じることは子どもに跳ね返っている
様々な状況で生じる大人の心の動きは、子どもの心に浸透し、その心の動きを強めたり弱めたりします。面白くない気持ちを引きずったまま登園し、ぐずる子どもが「大丈夫よ、先生がこうしてるから」と抱き締め安心を与えられることで、気持ちを立て直し離れていくことができるのです。
保育者の思いが子どもの心に跳ね返り、子どもの心を動かし栄養が蓄積され、保育者への信頼感や子ども自身の自己肯定感につながります。できる、できないに一喜一憂するのではなく、まずは、受け止め心の通った信頼される相手になることが大切だということです。
保育者の描くエピソード記述
「させる保育」「保護者に見せる保育」の見直しとして、振り返りの為に用いられるようになってきているのがエピソード記述です。保育者の心を揺さぶられた出来事を、読み手に伝えたいと思える内容として明確に記述しておき、保育の振り返りに活用することが目的です。参考書籍「子どもの心の育ちをエピソードで描く」(著者:鯨岡峻)には0歳児から年長の時期における「背景」「エピソード」「振り返りコメント」の事例がたくさん紹介されていました。私も仕事柄、子どもたちの様子を記していますが、ここまで丁寧に記録を残すのは正直難しいとも感じています。ただ、よほど自分の中で心揺さぶられる出来事が生じた時には、頭の中を整理する為にも大切な過程なのかもしれないと感じました。
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