『愛し方について、付け加えです』

愛の論理 本の紹介

前回の記事「愛し方」について

「自分を愛する」という部分について

もっと掘り下げて知りたいという

ご希望を頂きました。その際に

野口嘉則先生は、飯田史彦氏が

記した「愛の論理」を

参考にして欲しいと言われていたので、

読書後のアウトプットです。

『愛の論理』より抜粋

・「愛」とは、自分という存在の価値認識と成長意欲から生まれるものであり、相手が、ただ存在してくれていることへの感謝ゆえに決断し、永続的な意思と洗練された能力によって実行しようと努力する、相手の成長を願い、支援する行為である。

「相手」という表現の中には、「他者」だけでなく、自分自身人間以外の生命や自然・宇宙などにも向けられる。

「愛」の動機は、相手の所有物(容姿・性格・才能・仕事・家柄などの属性)に価値を感じるのではなく、相手がただそこに存在してくれているという現象に価値を感じての感謝でなければならない。

「その相手を愛そう」という明確な決断を下さなければならない。

「愛」を実行する為には、永続的な意思が必要。それは、愛する相手に何が起きようとも、「愛」を継続するという意思である。例え、愛する相手が死を迎えてその物質的な形を失ったとしても、その相手と過ごした思い出をいつまでも大切にし、永遠に継続する意思でなければならない。

本当に愛し合う2人にとって、「死」は1つの通過点に過ぎず、2人は永遠に共に、共に生きていく事になる。場所が離れていても、愛し合う2人を分かつことはできない。

・私たちは自分を厳しく律しながら、愛の責任感を強化したり、手助けしたりする。また、子どもたちが責任感を強化しながら、精神的成長を遂げる為の手助けをする必要がある。

・愛を実行する為には、永続的な意思だけでなく、洗練された能力が必要。たゆまぬ自己研鑽を通じて「愛する技術」を身につけながら、成長を遂げていく。

愛を実行する為には、惜しみない努力が必要。

愛とは、相手の幸福を願い、同時に、相手の成長を支援するということ

・人生の中で「愛しているからこそ、我慢する」という状況に直面する事がある。状況もわきまえず、安易に自分の感情を伝えてしまう時、それは「愛」と呼ぶには値しない事になる。

・愛とは、相手を受け入れ、評価をしないこと。相手の最善を望むこと。そして相手が能力を開花させる手伝いをすること(バーリー・ニール・コーフマンより)

・愛とは、自分自身と他者に心を開き続ける経験。また、一緒に人生や時間を分かち合う喜びを進んで相手に与え、相手から受け取ること。

自分を愛する事ができない人は、他人を愛することもできない。なぜなら、自分自身にも与えていないような時間とエネルギーを他人に与える事が許せないからだ。

他人を愛するために、まずは自分を愛する必要がある。

・愛することにおいてもバランスが重要。

・自分を知る事が大事。

書籍の最終章には、「愛の統合理論」を以下のようにまとめています。

<愛の成熟適応理論>

飯田氏は、人間としての成熟度を

危機的段階から超越の段階まで

8パターンに分類しています。

①危機:日常生活が困難。少しでも早く、自身の人間の価値に気づいてもらう必要がある。

②未熟:愛する意志に乏しい為、利己的人生を送り投げやりな態度になりやすい。

③意思的未熟:実行する為の力を持っているにもかかわらず、実行しない人。

④能力的未熟:愛したい気持ちはあるが、実行できずに苦悩している人

⑤標準:愛する意志を適度に持ち、程々に愛を実行している人。

⑥成熟:愛する意志を強く持ち、愛に満ちた素晴らしい人生を送っている人。

⑦完成:無限の意思と能力によって、愛を実行している人。

⑧超越:超人。努力なく、愛を実行する事ができる人。

自分がどこの段階にいるのかを知り

人としてどのような成熟度にあるのかを

分析しておく事が大事と言われます。

必ずしも下から上に成長を遂げるとは限らず、

上から下へと退化することもあるようです。

常に修練が必要ということです。

さいごに

 飯田史彦氏が「愛の論理」を著したのは、

苦悩し漂流する現代人を癒し救うために、

生きがい論をまとめられたのだそうです。

過去2000年間にまつわる「愛」の研究を

根拠としながら整理統合したのがこの書籍です。

その書籍の冒頭に

愛は技術である」と。

人を愛する際の技術が、説かれていました。

自分を愛するとは?

まず最初に「愛することを決めること」に

あると感じました。

なんとなく、こうなればいいなぁ。

ということではなく、「決める」という事が

その後の行方を左右する大切なことなのだと

感じました。

また、自分を愛する際に大事なことは、

あるがままの自分の感情に、気づき認めること。

素敵だと思える自分や

残念すぎると思える自分

色々な自分が混在するけれど、

どんな自分も、やはり自分。

その自分に、少しでも

丁寧に関われる時間を

意識し、行動できたなら、

自分を愛することに

繋がりそうだと感じました。

同時に、

自分が試行錯誤していける

動ける環境がある事が

幸せな状態なのかしれないとも

感じました。

私自身に神様のような

超越した能力はありませんが、

誰かの心にそっと

温かなマントを添えられる

そんな存在になれたなら

人生に悔いなく終われそうだと

思いました。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

〜こみゅばんばん〜

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