「臨床倫理のススメ」琉球大学医学部附属病院 金城隆展先生

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 今年は、コロナウィルスの影響でこれまでになく様々な講義を、オンラインで気軽に受講する事ができました。今年最後のブログは、「臨床倫理のススメ」から得た学びで締めたいと思います。

そもそも「臨床倫理って何?」と思われる方もいらっしゃるのではないかと思います。私も、この講義を聴講するまでは、「臨床にあたる際のあるべき正しい態度・姿勢みたいな・・」などと、曖昧な捉えでいた1人です。

沖縄県立中部病院の本村和久先生は、「倫理とは現実の出来事をどう行えば良いのか振りかえつつ、次の行動を模索する事」と言われています。人は本来、何らかの答えを得るために、学びます。しかし、悩まない為の倫理ではなく、悩むために倫理を学んでいるのだと。

ポイントは、「選択の自由と尊厳」でした。我々は、SNSやインターネットを通じて、様々な情報を入手する事が出来る様になっています。このような現代社会において、利用者やそのご家族が「この方法で治療したい」「この療育を進めていきたい」などと選べる支援を提供していけるかにかかっています。

臨床現場では「あれっ?」「なんだかモヤモヤする…」という思いが生じる事がしばしばあります。そんな時「倫理的な姿勢に基づき、自分は対応できているのか?」と迷いに対して真摯に向き合う姿勢そのものこそが重要である事を説かれていました。

 古代ギリシア哲学者アリストテレスの「中庸」という概念を用いて次のようにも勧められていました。つまり、過大過小の両極端を選ぶ事を悪とし、正しい中間(中庸)を選ぶ事を徳とした考え方です。クライエントの希望全てを受け入れることも、専門家が良しとするの医療をゴリ押しすることも、違うのです。我々専門家としての専門性が強過ぎても弱過ぎても、クライエントに対して、正しい医療を行うことは出来ません。正しい医療を行うためにも、正しい中間を見極めて、共同意思決定を行うことの大切さを実感しました。

何よりも、利用者様本人が自分らしく幸せであるために、一人一人の個性・価値観を大切にして、悩んではみんなで共同意思決定する事こそに意味がある事を改めて知る事が出来ました。

ありがとう」の反対言葉は、「当たり前
 今年は、これまで「当たり前」にできた仕事やその他の多くの活動が、コロナをきっかけに出来なくなりました。新たな取組に賛同して協力頂いているすべての皆さんに深く感謝いたします。来年は、もっと利用者の方々や共に支援・ご協力頂いているスタッフの皆様のお役に立てるべく頑張りますので、よろしくお願いします!

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